長嶋茂雄は鉄拳制裁をしていた?昭和の野球史に残る「湯口事件」とは

長嶋茂雄は鉄拳制裁をしていた?昭和の野球史に残る「湯口事件」とは

「ミスター・ジャイアンツ」こと長嶋茂雄さんが亡くなりました。

昭和の時代といえば、スポーツに根性・忍耐・体罰といったものは当たり前でした。

この記事では、長嶋茂雄さんが鉄拳制裁をしていたのは本当なのか?昭和に起きた「湯口事件」をとりあげます。

さっそく見ていきます。

目次

長嶋茂雄は鉄拳制裁をしていた?

引用元:x.com

長嶋茂雄さんは、ふだん鉄拳制裁をする指導者ではありません。

しかし、過去に鉄拳制裁に近いエピソードが語られています。

長嶋茂雄は鉄拳制裁をしていた?
  • 監督時代は西本聖投手へビンタ
  • 山倉和博を拳骨で殴る

それぞれ見ていきます。

①監督時代は西本聖投手へビンタ

引用元:x.com

巨人のエースだった西本聖投手が長嶋監督からビンタされたと明かしています。(長嶋茂雄巨人軍監督1年目)

これは『長嶋監督20発の往復ビンタ』(小学館文庫)で語られています。(↓2001年4月1日発売)

引用元:x.com

監督は腰にバスタオルを巻いただけの姿で近づいてきた。「おまえらは!」、いきなり強烈なビンタが飛んできた。腹筋に力を入れて踏ん張っていると2発目が飛んできた。続いて角にもビンタが飛んだ。

引用元:あの長嶋茂雄がビンタを食らわせた!これは暴力なのか

西本さんの書いた本によれば、西本さんの”ふがいない”試合内容に角盈男投手とビンタされたと綴っています。

ちなみに試合は引き分け。長嶋さんにとっては、根性のないピッチングに映ったのだと西本さんは振り返っています。

長嶋さんには鉄拳制裁をするイメージはないので、意外ですよね。

つづいて、鉄拳制裁の二人目です。

②捕手・山倉和博を拳骨で殴る

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長嶋さんは巨人の監督時代、キャッチャーの山倉選手に対しゲンコツで指導したと言われています。

長嶋は邪気のないおじさんどころか、(中略) キャッチャーの山倉和博を拳骨で殴るような男だった。それも、ただ一度の出来事ではない。

引用元:長嶋茂雄も王貞治もぶん殴っていた。野球界はなぜ体罰を根絶できないのか

これは『体罰と日本野球 歴史からの検証』(岩波書店)で語られているようです。

長嶋茂雄さんは、鉄拳制裁をした理由に「彼らが若くて、これから素晴らしい選手になる可能性があるからこそ手を上げた。どうでもいい選手なら頭をなでておしまいだ。特にあの場合、口より手のほうが効果があるとみた」と振り返っています。

世間一般の長嶋さんのイメージとはギャップのあるエピソードでした。

このように長嶋さんは、選手が楽しめるよう指導していた印象がありますが、鉄拳制裁したことがあったんですね。

ところで、長嶋茂雄さんは鉄拳制裁について、どのように考えていたのでしょうか。

長嶋茂雄は鉄拳制裁をどう考えた?

引用元:x.com

長嶋茂雄さんは、昭和の野球では当たり前の鉄拳制裁には否定的だったと考えられます。

その根拠として、長嶋さんは立教大学野球部時代に鉄拳制裁で有名な監督を退任させたからです。

詳しく見ていきます。

鉄拳制裁の監督を退任させたことがある

引用元:x.com

長嶋さんは立教大学野球部に在籍のころ、鉄拳制裁を辞さない砂押監督に退任を要求したようです。(↑左が砂押監督)

あまりに厳し過ぎたことから(特に体罰による暴力が酷かった。(中略) 監督排斥運動が起き、退任を余儀なくされる。

引用元:砂押邦信(Wikipedia)

砂押監督は、練習でミスをすると鉄拳どころではなく、血が出るまでバットやスパイクで選手をしごいていたことが語られています。

長嶋さんは、中日ドラゴンズへ給料はいらないから入団させてくれとお願いにいったほどです。(入団は実現しなかった)

学生時代にこのような体験をしていることから、長嶋さんは鉄拳制裁には否定的と考えられます。

では、巨人引退後 監督に就任した長嶋さんから鉄拳制裁の文化は改善されたのでしょうか。

長嶋茂雄監督から鉄拳制裁の文化は変わった?

引用元:x.com

結論からいうと、長嶋監督に代わっても鉄拳制裁の文化はあったとみられます。(長嶋監督の初就任は1975年)

そもそも昭和の巨人には鉄拳制裁がもとで悲しい事件が起こったことがあります。

長嶋茂雄の現役時代にあった湯口事件

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長嶋さんが現役引退の前年にあたる1973年に「湯口事件」が起きます。(当時の監督は川上哲治)

これは、うつ病を発症し変死をとげた湯口投手の原因が指導者側の鉄拳制裁だったのではと問題になりました。

1973年3月22日に、1970年ドラフト1位湯口敏彦投手が精神科病院で変死した。 うつ病で入院していた湯口だが、発症の原因は川上監督の罵声と中尾碩志投手コーチの鉄拳制裁であった。 

引用元:湯口事件(Wikipedia)

当時現役だった、長嶋さんがこの事件に関して直接コメントはしていないようです。

事件後の1975年に、長嶋さんは巨人軍の監督に就任します。

そのあと、鉄拳制裁文化はなくなったのでしょうか。

長嶋監督就任も鉄拳制裁はあった?

引用元:x.com

どうやら、長嶋さんが巨人軍の監督就任後もしばらくは鉄拳制裁は続いていた可能性が高いです。

これは『地獄の伊東キャンプ 一九七九年の伝道師たち』の本の中で語られています。(↓2012年12月19日)

キャンプイン当夜の食堂でのミーティングで、頬を紅潮させ、最後は絶叫口調で訓示を垂れる監督(長嶋茂雄)に、参加者のひとりである江川卓は「恐怖」を感じたという。]

引用元:長嶋監督はスパルタ方式 体罰も辞さず江川卓氏「怖かった」

具体的な鉄拳制裁の内容は、さきほどの本に書かれていると思われます。

巨人軍のキャンプに参加した江川卓さんも恐れたほどなので、冒頭で平手打ちした話からすると鉄拳制裁はあったのでしょう。

話は変わりますが、↓長嶋監督は生前「果てしない夢」をというCDを出していました。興味のあるかたはどうぞ。

まとめです。

まとめ

長嶋茂雄さんが巨人軍の監督時代、鉄拳制裁はあった

しかし、それは選手に期待していたからと長嶋さんは振り返っています。

かくいう、長嶋さん本人も鉄拳制裁で有名な立教大学の野球部の監督を退任させたことがある。

理由は、野球部の砂押監督の血が出るほどの体罰に嫌気が差したから

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